初雪 

けほけほと、小さな咳をし、加湿器の蒸気があまりあがってないことに
気がつく。
このところ、幹部クラスの間で風邪がはやってしまったようだ。
・・・といっても事の発端は私なのだが。
土曜の午後ということで、仕事も早々切り上げたようだ。
あの、キエフ候ですら、倒れてしまったというのだ。
私は、与えられたこの個室で
車椅子をゆっくりと、こぎだし
窓際まで動いた。
微熱は、頭をぼんやりとさせる。そして、この湿度やら、気圧の変化が
関節や指先、頬と、痛みをともなう。
しかし、この痛みで、わかることもある。
雪が、おそらく降るのだ。
今年初めての。
曇った窓を指先でなぞり、外を眺めながら、幼かった日のことを
思い出した。



初雪が降ると大切な人に会いに行く。
初雪デートを楽しむ。そんな習慣のある国が昔あった

父は私をひざの上にのせて、難しい古書のペイジをくくりながら
コンピュータで情報を引き出す。
そして、そんな昔の話をはじめた。
窓の外を眺めると母の姿が見えた。

「雪が降ってきましたよ」
母はカシミアのストールについた小さな結晶を払いのける。
父は、わたしをひざから下ろすと、立ち上がり、母の手をとり、ストーブのそばへと
引き寄せる。
ストーブのやかんが蒸気を上げる。
母はキャビネットから、紅茶の缶を出す。
父は、いう
「カテリーナ、君も、いつか大切な人に会いにゆくんだろうね」
ひざをおりまげ、目線をあわせ、笑う。

今、思えば、父は、初雪が降りそうな日に、
城ではなく、庭の片隅にある、この離れの書斎へとこもり、母を待っていたのだろう。
そして母もまた、大切な人に会いに行く、そんな気持ちでこの離れへとやってきたのだろう


そんな幼き日の両親の大切な習慣をずっと覚えていた。
ミラノの雌狐、鉄の女と呼ばれながらも。
中庭でぼんやりと口をあけて空を見上げていたり、
あるいは、自室で書類作成で大慌てだったりする、そんなアベルの下へと会いにいったのは、
ずいぶんとふるい記憶のような気がする。

その笑顔と雪を見るために

  カテリーナさん、しょ、書類はまだです
  今日は底冷えしますね。風邪ひかないで下さいね

 大丈夫よ。  こんな程度じゃ、風邪なんてひかないわ。
 それよりみて、かざはながまってる。

  あああ、本当ですね、あ、トレス君だ。お迎えにきたみたいです
  会議の時間だわ、またね、アベル。

そんなやりとりを幾度となく繰り返す、冬の始まり。
アベルは知っていたのだろうか?

いつの日か、彼は、雪の降る前に私の元へと、おとずれるようになった。

「カテリーナさん、雪が降りそうですから、私は早めに帰ります。
 風邪ひかないでくださいね」
初雪を一緒にみることはなくなった。


ドアがノックされ、その音がアベルの手の音だとわかる。
もう一度、窓の外をみてから
「アベル?どうぞ」
と声をかけ、入室を促した。

「カテリーナさん、これから、雪が降りますよね」
アベルはドアを閉めると、たったまま、こちらに話しかけた。
「そうね、あと、もう少ししたら、きっと降り出すわよ」
私は車椅子のまま、ゆっくりとアベルのほうへ、顔を向けた
「カテリーナさんの予報ってわりとあたりますよね」
「ふふ、義父譲りですもの」

「これから、街へと出かけてきます。シュークリーム買ってきますから、待っててください」
「ありがとう、あたたかいお茶を用意しておくわ
・・・・・・・・・・・クイーンエスターをあまり連れまわさないでね、今、風邪ひかれたら困るもの。
だいたい、幹部クラスで風邪をひいてないのって、あなたと陛下、そして、マタイくらいでしょ?
ほかの二人はともかく、なんとかは風邪すらひかないのね」
と微笑み、アベルが退出するのを待った


「か、カテリーナさん、あんまりですよ〜そりゃ、わたしは得意体質ですけど・・・・
あ。でもマタイさんもある意味不死身ですよね、エステルさんにいたっては・・・
おっととと、
もうすぐ、トレス君がエステルさんの護衛から、戻ってきますよ」
アベルはそういうと、部屋を静かにでていった




もう一度、外に目をやると、先ほどの中庭の氷の貼った下へと真っ白なコートの小柄な女性が駆け寄ってきたのが
見えた。息切れしながら、アベルに微笑む。その後ろを護衛よろしく、
真っな 黒な外套を着込んだトレスがやってきた。
なにやら、三人で騒いでいる。
一言、二言つげ、二人は笑い、トレスは、むっつりとしながら、別れた。
アベルは、真っ白なコートのエステルをエスコートしながら、白い空気の中に、消えていった。

トレスはこちらへと向かって歩いている。
かざはなが舞い出した。
アベルとエステルが街へとつくころには、雪の結晶となることだろう。
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   カテリーナとトレス


足音がして、トレスが戻ってきたことがわかる。硬いリズムを刻み、
ドアの前で音が消える。
カテリーナは車椅子から、ゆっくりと降りると、杖をつかい
ゆっくりとドアへと近づき、ドアを開けた

「おかえりなさい」

麗人は、その美しい笑みをたった一人の男にのみ見せる
「任務は終了した」
トレスはそういうと、迎え入れた主に対して、一瞥し、部屋に入る。
そして、覚えた言葉を使う。「ただいま」

カテリーナは満足したようにして、また、窓際の車椅子へと戻る。

トレスは加湿器を調べて、調節する。
窓に目をむけたまま、カテリーナは仕事をするトレスへと声をかける

「ねえ、トレス、やっぱり、雪が降ってきました。外へいきましょう。
 せっかく、もどってきて、申し訳ないのだけど」

トレスは顔をあげて、少なからず、驚いたように、いう

「卿は、まだ、微熱があり、風邪が完治していまい。あまり外へ出ることは推奨できないが」

というかいわないか、また、立ち上がると、ひざに乗せていた大判のカシミアの
ストールを肩に巻きつけて、机から赤い色をしたミトンの手袋を出し、長い手にはめると、
にっこりと笑い、杖を持った

「さあ、いきましょう」
「・・・・肯定」
トレスは少しあきれながらも、彼女の身体を支えるようにする。
カテリーナは、ああ、そういえば、ともう一度、机の引き出しを開けると、
トレスの首に縮絨素材のマフラーをかけると扉を開けた。


先ほどまで三人で騒いでいた中庭の噴水は雪が降り出したために、そのレリーフやら、
石造の天使、そして、石畳がすこしずつぬれだした。
カテリーナは空のほうを見上げると、真っ白くて小さな結晶が踊りながら落ちてくるさまを
ずっと見ていた。
彼女の金色の髪にも、方眼鏡にも、ストールにも雪は降り、消えてゆく。
静かに上から舞い降りる踊り狂ったその白に、吸い込まれそうになりながら、カテリーナは
かじかむ手先で杖をしっかりと握り締めた。

「ミラノ公」
あまりにも長い時間だったのだろうか?それとも一瞬だったのだろうか・・・・
トレスの声にふりむくと、首に巻いたはずのマフラーを手に、カテリーナの頭へと
かけた
「これ以上、ここにいると凍りつく」
「大丈夫よ。トレス。それよりあなた・・・」

トレスのそのオレンジブラウンの髪も、人工皮膚も、コートにも、同じように、雪は
しみをつけ、消えてなくなり、また、つもりという一連の作業を繰り返していた。
カテリーナはトレスのマフラーを頭から巻くと、片方だけ、自分のミトンをはずし、
トレスの頬にふれた

「あなたも凍りつくわ」

人工皮膚とはいえ、私と同じように外気温で冷たくなっている頬をそっとなでると、ミトンを渡し、
「はめるといいわ」
「否定・・・俺は機械だ、寒さは感じない」
「はめてほしいのだけど」

その声はしんとした中庭に静かに響いた。トレスは片方だけ、赤いミトンをはめた。
カテリーナはトレスの外套のポケットにそっと手袋をしていないほうの手をいれると
「さあ、戻りましょうか。凍りつかないうちに」
トレスだけに向けたその微笑は粉雪をも溶かすほど、あたたかく、優しい
トレスはカテリーナの杖をあずかり、彼女の肩をそっと支えて、ゆっくりと建物へと歩き出した。

「今年も、大切な人と初雪が見られましたわ。父上。母上」
カテリーナの声は小さく、トレスの聴覚センサーのみが反応したが、
トレスは何も言わず、彼女の体温がこれ以上下がらぬよう、次にとるべき行動を
計算しはじめた。





    
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