マニキュア

オーバルのつめ。

 カテリーナは、薄い紫色に塗り、じっとみていた。
つんとするマニキュアのにおいは、ちょっとくらくらするいいにおい
塗り終えてかわかし、じっと手先を見つめてにおいがすこしづつ
消えてなくなってゆくわずかな時間がすきだったりする


元のつめの色はうすいピンク色。
貧血のために、もろくなってしまったけど、欠かさないつめみがき
みがかれたつめが、健康な人とおなじようにきらきらと光ったり
つるつるになったりする。
つめを自分の指の腹で触り、つるりとしたあの感触を楽しむことが好きなのだ。
もちろん、ネイル専門のものに手入れしてもらうことも極上な喜びだが。

自分ですることも好きなのだ
ベースコートを塗り、気まぐれと服装、公なのか私なのかで色を選ぶ。
自分で塗る。トップコートで仕上げる
その時間は至福だ。

 はぁ、これをフェチというものね

ひとり悦にいる
細かい細工を施された人工爪も嫌いではないが
やはり自分のつめを着飾ってあげることが好きだ

この行為も、病気の進行が深まればあまりできなくなる
変形した醜いつめのことを思い浮かべるようになってからは、なおさら
磨くこと、着飾ることへの執着がましたような気がしてならない。

そして、罪の意識を消さぬよう、この行為を愛するのだ

夜から、ちょっとしたパーティーに出なければならない。
護衛をトレスとレオンにお願いした。
もうすぐ、どちらかが迎えにくるはずだ

  今日のカテリーナは、ホルターネックのマーメイドドレス
  闇のように深い紫は光の加減できらきらとひかる。
  背中の半分が露出され、ヒップラインがすこしふくらんでいる
  そこには、すこし光る糸でチョウが刺繍されていた。
  光の加減でチョウが舞う

 「猊下、お迎えにあがりました」

レオンの大きな声が響いた
  真っ黒なタキシードを着、癖のある黒い髪はオールバックになり、
ひとつにしばられている。

普段のだらしなく着る僧衣とは打って変わって、世にも美しい枢機卿の
護衛であり、彼女をエスコートする紳士にみえるから不思議だ

「ひゅう」
と下品に口笛をふき、人懐こい笑みを浮かべた
「レオン、ファナちゃんにもみせたいわね」
カテリーナもまた、親しい人だけにみせる笑顔で口笛に答える。

 「トレスなら、車をまわしてる。っと・・・・・」

共布でできた長いグローブが机においてある。
それからドレスと同じ色のりぼんが一本。
「髪につけてあげましょう。トレスには、同じ色のハンカチを渡しましたし」
ちょっとしたおそろいだ。カテリーナの少女のような行動にレオンは にやりと笑う。
「俺が使い終わったらファナにあげてもいいよな」
「もちろんです」
カテリーナはりぼんをつめでそっと触れた

「じゃ、俺からは」
とカテリーナの手をとり、まだ、片付けられてはいない
ネイルケアセットを一瞥すると
「これでも、絵心はあるぜ」



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「きゃああ。れ、レオンさん、なになさってるんですか」

ホログラムが結ばれるやいなや、ケイトの叫び声。
はたからみたら、レオンがカテリーナの手を握り、舐めているようにしかみえない。

  「なぁ、小姑、もうすぐ仕上がるんだよ、だまってろよ。
   お前にもしてやるから」

と、振り向きもしない。
レオンの言葉にカテリーナは眉根を少し動かし、かみそり色の瞳の光が消えた
でも、それは誰も気がつかないくらいのわずかな時間
残酷な言葉だ

つめを着飾ってもらっていることへの喜びと罪悪感の波紋が広がり消えてゆく

「ほら、綺麗だろ」

レオンは彼女の手をたかくあげ、ケイトに見せた

右手中指に、紫のチョウの絵が舞う。
触覚の先端には、誰かを思い出させるようなオレンジ色

レオンの大きくて無骨で毛深い浅黒いその手からは、
信じられないほど繊細なものが生み出される。
我が子をなで、抱きしめることができる大きなあたたかい手でもあり、
物や人を崩壊へと導くことができるつめたすぎる手

 「ありがとう」

カテリーナの声は絵に対するお礼だけではない

そして、罪の意識

レオンの後のホログラムの女性を見て哀しい気持ちになった
と同時に、あたたかい眼差しを二人に向けるそのやさしい青い瞳を見つめて安堵する
その安堵は甘え。自分自身を許すための甘えなのだ。
そして、思う
ケイトはやさしくて強くて、美しいのだ。カテリーナが知る限り。
レオンもやさしくて強くて、そして誰に対しても、平等なのだ。カテリーナが知る限り。

 現に、レオンは振り向くと
「おい、小姑、お前は」
と言いかけて、口を噤む。が、飲み込んだ言葉は
きちんと伝えるべき気持ちだと思いなおし、にっこりと笑うと

「お前は、結構腹黒いからな。黒く塗りたいところだが、まけてやる、濃紺だ」
と、手袋を指差した


アイアンメイデンで眠る彼女の本当の姿
年をとらず、眠り続ける姿

結ばれた映像は常に尼僧服。

髪を結い上げ、アクセサリーを身に付ける。
ドレスをひるがし、お気に入りの靴をはき、殿方にエスコートされる
大事な人が自分の背中に手をおくと、そっと部屋の中へと導かれるあのしぐさ
女性でよかった、と思う瞬間
そんなこととは無縁だ

そして、つめを着飾るという
女性のみに与えられた、この独特な時間に対する至福の喜びなど、知る由もない


すべてを思い、レオンもまた、いたたまれなくなる。
レオンができること、それは、女性として大事にすること、それと同時に
映像だということを、痛いくらい納得させること。それしかできないのだ

レオンはケイトの強い部分をいつもの皮肉で誉めた。
彼女のおだやかな顔が切なそうに笑うことがあってはならない

なきぼくろをつかわせてはならない

だから放った言葉は飲み込んではならない。
切なそうに泣くのはあの棺の中だけでいいのだ。無意識の中だけで

「ま、失礼な。腹黒はひとりで結構ですわ・・・
 それにしても、見事にばけましたわね。
 けだものにも衣装とはこのことですわ。」

口元をふくらませ、少女のように笑う

 「女の子たちが俺をほっとかないからなぁ。けだものになっちゃうかもな」

とにやりと笑い閉じられたボタンをいじる。窮屈そうに。

二人のやりとりを聞きながら
チョウのゆびさきで、カテリーナはレオンの髪にりぼんを付けてあげている
どうしてもたて結びになってしまうのにいらいらして、口元がゆがむ

  「カテリーナ様・・・・・」

ケイトはそっと手をさしだし、レオンの柔らかい髪とカテリーナのもっている
シルクのりぼんにふれようとし、手をひっこめた
レオンの髪はどんなさわり心地なのだろうか?
シルクとはどんな感触だったのだろう、記憶のかけらを集める
たしか、やわらかくて、しなやかでやさしい風合いだったはずだ

カテリーナの手はあたたかいはずだ、そして、同じようにレオンの
手も大きくてあたたかくて、私の手をすっぽりと包んでくれるはずだ、
すこしごつごつして、手のひらがきっと硬いのだろう、とケイトは思う。
ふれることなど、かなわぬ夢だとわかっていても。

「カテリーナ様、最初からやりなおすか、トレス神父にやっていただいたほうが
 いいとおもいますわ」

ケイトはそう告げると カテリーナの不器用にうごく手元と指先、そしてつめをみつめた。
濃紺色で、私には何を描いていただけるのかしらと思いながら。

レオンの施したチョウ。
オレンジブラウンの触覚のチョウなど多分いないだろう。

  「お、あの足音は拳銃屋じゃねえのか?」
と声がかかるのと同時に
   「やっとできたわ。レオン」
カテリーナはようやくりぼんを結び終え、わらった

規則正しい足音がとまると同時に几帳面なノックの音が聞こえた
カテリーナの顔が華やぐと同時に、
オレンジブラウンの髪の青年がいつもの僧衣ではなく、
タキシード姿で入室してきた。

 「虫除けですわね、レオンさん」
ケイトは小さくつぶやく 
レオンはいたずらがばれてしまった少年のように、口元をゆがめ、ウインクした

「濃紺の夜の空と満天の天の川を描いてやるよ、ケイト」
ケイトを見つめ返すと、
レオンは誰にも聞こえないように、口元だけを動かした。

「地上から、見る満天の星空もいいもんだぜ」
ケイトは目を細めた。

「そろそろ、お時間ですわ。
あ。それから、お車に乗ったら、カテリーナ様、トレス神父の
ポケットチーフをなおしてさしあげてくださいまし。まがってます」
ケイトの強くてやさしい声が響いた

「いってらっしゃいまし」

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