黒いカテリーナとトレス。同棲中。庭園のつづき。

□ 庭先 □

この国に来たのは、冬の始まりだったような気がする。
そして、日差しがつよくなりつつあり、すこしずつ、庭のぬかるみは、
雑草が生えつつある。

「ごくろうさまです」
定期的に、薔薇の手入れにやってくる庭師にはじめて
声をかけてみた。
「この薔薇の名前はなんというのでしょうか?」
カテリーナは”魔術師”が手配したであろうこの無口な庭師と、
その薔薇の小さな苗木にまったく興味がなかった。
ただ、今日は雲の隙間から太陽が見えた、そういう単純な理由で声をかけたのだ
「シウンという名です」そう告げると、いつものように、手際のよい手入れをし、
去っていった
「美しい赤いような紫のような不思議な色がつきますよ、奥様」

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「シウン」
聞きなれない発音。
まぁ黙っていても、あの”魔術師”が教えてくれるだろう。



「トレス、その薔薇はシウン、というのですって」
カテリーナは庭先で、丁寧に手入れされ、小さな葉がつきはじめた
薔薇の苗木を見ながら、一歩後ろに控えている真っ黒い制服の男につぶやいた

「シウン??」
どうやら、トレスの演算中枢にもその言葉は入ってはいないようだ。
「それより、トレス、庭の草むしりでもしましょう、雑草が生えてきたわ
 せっかく、きちんと手入れされているのだもの、綺麗な花壇をつくりましょう」
カテリーナはみずから座り込み、草をむしりだした

「・・・・ミラノ公、ドレスが汚れる、つめが汚れる。
卿のやり方をみて、俺にもできると思われる、
むしろ、俺のほうが手際がよい。」
座り込んだカテリーナの行動を制しトレスは草むしりを始めた。

「ミラノ公、この葉は雑草なのか?」
手袋を土色にして、かがみ、ふりむくトレスの目線の先は
チューリップの芽と水仙の芽が出ていた
「ああ、それは、花です。春になると咲きます。
 だから、むしりとらないで」
「なんの花だ?」トレスは納得、というように、小さく芽吹いた部分を
さけて、雑草を抜いた
「チューリップと、水仙です、きっと」
「チューリップと水仙?」
トレスの演算中枢に花なぞ、入っているのだろうか?とふとカテリーナは思い、
「チューリップは何色が咲くか、わからないわ。
 水仙は・・・黄色か白よ」
小さな庭の芽吹き始めた雑草たちは、あっという間にむしられ
こげ茶色した土がみえた
いずれ青々となるであろう芝生の枯れた色
そんなものを眺めると、自分の堕ちた身を忘れるほど、穏やかな時間が流れてゆくのがわかる


ふと、かがんでいたトレスが立ち上がり、身構えた

「ご機嫌いかがですか」
その声は魔術師だった。
後ろには、ストライプの解禁シャツにニットのベストを重ね着し、
ジャケットを羽織ったとび色の美しい青年、人形使いをつれていた
「犬が草むしりしてるんだ」
人形遣いことディートリッヒは横目でトレスを見ると
カテリーナを見つめた
「こんにちは、カテリーナさん」
天使が降りてきて微笑む。

現実に変えるこの二人の存
相変わらず服の趣味の悪い天使の顔と
一瞥した。そして、氷のような声をのどから吐き出す
「今日は何の指令かしら?」
麗人はて死んだ魚の目をした魔術師ことイザークをみつめた

「我が君がもしかしたら、気まぐれでこの地にくるかもしれません」
静かにイザークは言う
「・・・・アベル・ナイトロードの行方すらわからないのに?」
つとめて平静を装いながらその名を出す
いとおしい男の名を。
自分の手を振り切ってさっていった男の名を

「アベルは、きっとエステルに会いに来るにきまってるんじゃないの?」
その気持ちを察するように、口元をゆがめて笑うディート。
天使の声は皮肉といやみに満ち溢れている
「ま、この国で待ってれば会えるよ。きっと。」
ディートはカテリーナのまっすぐな目線を避けるようにして
足元の泥をけりあげた
ディートの子供のような見栄見栄の行動に半分あきれながら、イザークは
カテリーナと薔薇を見比べた。
「薔薇がそだっていますね。紫雲という名なんですよ、カテリーナ様」
イザークはそういうと、芽吹き始めた葉を手袋の上からそっとふれた。
「よい緑色をしている」
「イザーク、シウンとは、どういう意味ですの?」
聞きなれない発音に、カテリーナはなんとなしに問う。
「おや、博識なあなたでも、ご存じなかったとは・・・・
 シウンという意味のことですが、
 紫色の雲。念仏行者が臨終のとき、仏が乗って来迎(らいごう)する雲のことです。
 吉兆。つまりよいことという意味のようですよ」
「仏教のことなのね、かつて絶滅地帯が、まだ国だったころ、信仰されていた
宗教に基づいた花の名」
カテリーナは小さくつぶやく。


どっちにしろ、死んだとしても・・・・
そう、土に埋めてくれる男はいるが、雲の向こうへと連れて行ってくれる人など
いない。誰もむかえにはきやしない。
今こうして、死んだような、いや死んでいる生活をしているのに。

銀の髪はむかえにはきやしない。

「へえ、そんな意味の薔薇なんだ。まるで、死者のための花だね」
おもしろくもなんとない、というようにディートリッヒはいう。
はっとわれにかえり、ディートをみつめると彼は
含み笑いをした。カテリーナが誰を、何を思っているのか、そんなことを
見透かしたかのように。
「ねえ、イザーク、そろそろ、いかない?」
「そうですね。では、カテリーナ様。なにか不都合がありましたら、連絡を下さい。
 薔薇は、本当に丁寧に手入れされているようで、私は、安心しました」
そういい遺すと静かに二人は消えていった。

「ミラノ公」
声がかかる。
彼らがカテリーナに危害を与えないと思ったのか、トレスはずっと水仙とチューリップの
手入れをしていた。真っ白い手袋が真っ黒になるまで。
カテリーナはその手袋にふれると、そっと握り、
ああ、迎えには来ない。迎えに来る必要などないのだ。
ここに、となりに、いるのだから。
オレンジブラウンの。

紫でなくてもいいのだ。私の吉兆は・・・そう、この色なのだ
そして、手袋の泥が自分の白い手につくこともいとわずに、
トレスの手袋を握り続けた。


2006/03/12