□ 尼僧服 □
あるいは、やくそくともいう
「カテリーナ様。お久しぶりです」
泣き黒子のある瞳。上品な顔をした笑顔が結ばれた。
「久しぶりね。ケイト」
カテリーナは、声にありったけの親しみを込め、挨拶をする。
「トレスさん、お久しぶりですわね。お元気でした?」
ケイトは後ろで静かに立っている元同僚にも同じように微笑む。
「半年ぶりだ」抑揚がない声。しかし、少しだけ、懐かしさがつまっているような
気がする。
病気の悪化から、夏の間、しばらくは海が見える小さなサナトリウムで
治療とリハビリの日々を送っていたのだ。
立てるようになったものの、やはり、季節の変わり目は体にこたえる。
特に、こんな寒々しい空の夕暮れは、手足のこわばりがとても、ひどい。
カテリーナの車椅子姿に深い悲しみを覚えながらケイトは複雑な
表情を隠せずにいた。
そんなケイトの表情を少し困ったようにカテリーナは見つめ返して、
苦笑する。
「トレス、あの扉の中には、私の車椅子は入りません。私をあの部屋へ連れて行ってくださる?」
先ほど、手のひらで認証させた、ドアを指差す。
「肯定」
カテリーナの目の前に立つ。カテリーナはその長い、でも、やせ細った腕を
トレスの首元へと、まわす。
トレスは、ゆっくりと薄い高価なガラスを扱うかのように、彼女を抱きかかえる。
トレスの人と同じ体温に設定された手足のあたたかみはカテリーナの
末梢循環器の血行障害に、やさしくもあり、痛くもあった。
抱きかかえられ、その絹糸のような縛った金の髪がふわりとゆた。
ケイトは、その、おそらく日常よく行われているような二人のやりとりを
見つめて、口もとがほころんだ。
静かに三人はその部屋へと入っていった。
おもちゃ箱をひっくり返したような、その部屋は、
天井も低く、ロフトまである。窓が丸い。子供の隠れ家だ。
灯りをつけると、部屋の様子がよくわかった。
壁にも落書がいっぱいだ。
部屋の隅にあるベビーベッドの上には、
木製のおままごとセットや、手垢がいっぱいついた積み木がある。
その横に、ベビーを乗せて運んだであろう、籐でできたクーハンと小さなベビー布団。
額に入っているクレヨンで描かれただたの線にしか見えない絵らしきもの、
お人形やその人形の服、まだ、箱からだされていない、よくできた本物の陶器のミニチュア版の
ドールハウスがおかれている。
本棚には、おびただしい数の子供向けの絵本から、大学生が解くような高等数学の本までと、
ぎっしりと詰まっていた。さらに、ノートやファイルされているフォルダーなどがある。
年に何度かは、掃除がなされるのか、埃はそんなに積もってはいないが、
どれもみな古びている。
本棚の隣には、備え付けのクローゼットがある。そう大きくはない。
「この部屋はね・・・・・・誰にも見せたことはないのです」
カテリーナは静かにいう。
「義父と母が・・・・私の子供のころからのものを取っておいたの」
少し恥ずかしげにいうと、クローゼットの前へと、ゆっくりトレスは彼女を床へ下ろす。
トレスの手とクローゼットの扉で立ち上がると、ゆっくりとその扉をあけた。
樟脳の匂いがつんとした。
アンティークレースをあつらえた裾の大きく広がった白かったであろう
ドレスは腋に汗染みができて黄色くなっている。
グレーに黄色の水玉模様のパフスリーブのワンピースも
おそらくシルクだろう、しかし、胸元は、ケチャップの赤が落ち切れていない。
小さな、でもしっかりとした上質のツイードのスーツはすこしポケットがほころびている。
一緒にかぶったであろう、フェルト素材のベレー帽も虫食いで小さな穴がある。
日焼けして、本来の色をなくした麦藁帽子とそれについている赤と白のギンガムチェックのサテンのリボン。
そんな、子供用のしっかりとサイズを測られて作られた数着の服や帽子は、
おびただしい数のなかから、厳選して選らばれて保存しておいたものなのだろう。
彼女の母親はきっと、この染みや、穴を、どこでいつどうしてついたか、
きっと語るはずだったのだろう。
あまりにも早熟で、才女と謳われ、スキップで大学生になってしまった娘のために。
カテリーナは、クローゼットから、きちんとたたまれた二着の尼僧服を出した
のりがきちんとかかっている。
一枚は白い尼僧服。
もう一枚ば見習いのためのブルーのもの。
サイズが少し違う。しかも、形も今のものとは少し違ったデザインである。
「これ・・・・・・あなたが着ていたものなのよ」
カテリーナはブルーの見習い用の尼僧服をさしていう。小さなイニシャルが入っている。
・・・あなたが着るべきものだったのよ、というべきだったのであろうか。
カテリーナは言葉の選択を間違えたような気がした。
「あ、あたくしのイニシャルが入ってるわ」
ケイトはにっこりと笑い、その真新しいブルーの尼僧服を見つめた。
のりがしっかりとかかっていて、一つもしわはない。
袖を通す必要がなくなったのだ。
白い尼僧服は何度かクリーニングされていたようだ。
「そちらは、私のものなの」
月日は少女を大人の女性へと変えていた証のように、
今のカテリーナには、ふた回り小さいサイズである。
「カテリーナ様は、身長が結構のびましたわよね」
ケイトは、しみじみとこのカテリーナ・スフォルツアという女性を見つめた。
病気での変貌ぶりを差し引いても、とても美しい女性だ、
そして、自分の人生をこの女性に捧げたことを心から誇りに思い、一緒に
いられることが喜びであること・・・・・
そんなことを考えながら、ケイトは、カテリーナの長い睫を
見つめた。
それから、彼女が、大事にしていた人のことを思い出してしまった。
クローゼットの片隅にサテンの黒いリボンがあった。
ああ、あれは、アベルさんの・・・・・・・と思いつつ、
トレスに支えられて、生きている彼女の剃刀色した瞳に固い決意があるような気がしてならない。
しかし、それは、私には、言えない決意なのかもしれない・・・・・・・
後ろで静かに、音もなく、カテリーナを見つめるトレスの
赤い視覚センサーという名の瞳が見えた
「トレスさん、カテリーナ様のお傍にずっといてあげてくださいまし。
きっと、カテリーナ様はあなたを選んだのです、まだ気付いてないだけですから」
祈るような気持ちで口元をそっと動かした。
はっと顔をあげると
形のよい、しかし、痩せて骨ばってしまった指が見えた。
カテリーナはおもむろに、そのたたまれていたブルーの尼僧服を広げると、
ケイトの画像のそばへと近づきばさりと広げたのだった.
いたずらっぽく笑うカテリーナの痩せた頬を指の隙間から見つめ返した。
そう、サイズは当時と変わらないのだ。変わりようがないのだ。
「まぁ、着たら、こんな感じだったのね」
まるで、服地をあてこみ、服を仕立ててもらうときのようなしぐさをする。
「は、はずかしいわ。カテリーナ様〜」
ケイトは頬をふくらませていう
「とうのたった見習いシスターじゃありませんかぁ」
いいえ、ケイト、あなたは、あのときから、変わっていないわ。
といいかけてやめる。
ケイトは変わらない。変わりようがないのだ。
あのときから。ずっと。
だからこそ、私は、彼女のためにも、生きなければならないのだ。
カテリーナはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「お願いがあります。この城が・・・なにかあったとしても、
あなたがたは、この部屋に出入りできるよう、パスワードを変更します。
だから、この城になにかあったら・・・この部屋を焼いてください」
立っているのに疲れて、尼僧服を抱えるようにして、床にゆっくりと座り込む。
彼女が穿いている紺色の別珍の長いマーメイドスカートに、埃がつく。
そして、少し咳が出る。
「ミラノ公」
抑揚のない声がカテリーナへとかけられ、
彼の動きは一部のすきもなく、彼女の体をささえ、そっと抱きかかえ
退出を促す。
「埃が、咳を誘発している。この部屋からそろそろ退出することを推奨する」
いつもと同じように、カテリーナの身を心配する。
言葉のやり取りは、あくまで、事務的だ。
二人のやり取りをみながら、ケイトは少しだけ、哀しい気持ちになり、
その狭い部屋についている丸窓から外を眺めようとするが、
もう、すでに、夜の帳が下りてしまった。
だから、ケイトは、哀しい気持ちのまま、二人のやり取りを見つめるしかないのだ。
そしてミラノの女狐と言われていたときと同じような
固い決意を燈した剃刀色の輝きの前では、なにもいえないのだ。
彼女の城がなくなる?彼女がいなくなるということ?
おもむろに発せられた言葉に驚き憶測する。
しかし、彼女は、鉄の女。質問など、受け付けないのだ。
「わかりました」
ケイトはいつものように笑って答えた。
「トレス、あなたは?これは、お願いよ。」
「肯定・・・・・・ミラノ公の命令は俺にとって最優先任務だ、当然だ」
「ありがとう」
カテリーナは、微笑む。
トレスの腕のなかで、私たちだけに見せた儚すぎる綺麗な微笑だ、
とケイトは思った。
2005/10/30