初雪 

パウラマタイ

昼から降り始めた雪は、少しだけ積もってつい、今しがたやんだ。
すべての音を吸収してしまったような夜の八時半。

幹部クラスがことごとく風邪でダウン。
残ったのは、陛下と自分くらいなもの。しかしどうやら熱発。

パウラは雪の上を歩く。さくりさくりと響く音もここではないどこかへと
吸収されれ行く。
だるい体とすべってはふらつく足元。
青ざめた薄明かり。はめた赤いミトンの手袋。
はたと気がつくと、
白い雪を真っ赤に染め上げた戦場か。
きらきらと光るイルミネーション、降誕祭のパーティでの銃撃戦
雨は雪に変わり、足をとられるぬかるみは、泥なのか、肉塊なのか


厳粛な静けさと真っ白い空気の夜なのに。


ベンチに座り込み、冷たい空気を思いっきり吸い込むと、
肺は悲鳴をあげ、咳が出る。
自分の音だけが響き、消えてゆく。

まったく、エリン公といい、ミラノ公といい・・・・・・どうしてこう、
強烈な風邪をうつしてくれたんだ。
汗ばむ手のひら。
手袋をはずすと、声をあげる
青白く明るい雪の夜の庭、照らされた指先の赤いしみにぎょっとなる
よくみれば、インクの朱なのに。べっとりとついた赤いしみ

死の淑女とよばれ、怖いものなどなにもないはず
なのに、静か過ぎる夜のもとでは、ひとりの人間になってしまう
それは、この国の女王とその友たちのなせるわざなのか。
そしてこの感情が決して嫌いではない


「副局長?」
やわらかい声がろくでもない思考から救い上げる
マタイが立っていた。
深い茶色のコートのポケットから、煙草でも出すのかと思いきや
白い紙袋が出てくる
「副局長?こんなところで凍死するつもりですか?」

渡された紙袋には粉剤がはいっている
「抗生物質と咳止めくらいは処方できますから」
「コデインいれすぎてないわよね」
「あなたは、こんなときにでも、皮肉をいうのですか?
「いえ・・・冗談です。ありがとう」
表情に乏しいパウラの頬が少し赤いのは熱のせいなのか、この男のきまぐれへの
感謝なのか。
薄明かりで彼女の口元が動くのがわかる、ほんのすこし

 「世界は真っ白で、こんなにも静かなのに、みて、私の手は真っ赤」
ポツリとつぶやくパウラの小さな声は雪に吸収されながらも耳に響く

「え?いつから、あなたは詩人になったのですか」
穏やかな目元とは裏腹に、口元はいつものように皮肉な笑みを浮かべながら
マタイは手をとった
「赤いしみが落ちない」
子供のようにいうのは、熱のせいなのか?真っ白な雪のせいなのか
「私も同じですよ、副局長。でも、これは落ちると思いますよ。
 ・・・・らしくない・・・・・・」
笑っているのは口元のみ、目元のまなざしは鋭く、そして、この厳粛な白さに
のまれた罪人。
互いを哀れと思う同じまなざし。
あくまでも人間的な

パウラはマタイの冷たい手を離すかわりに瞳を見つめ返し、
ベンチに積もった雪に触れる。雪は指先のインクを溶かし朱色になる
暗くて見えない。でもその白は赤いしみをつくっていることだろう
明日には溶けてしまうしみ

「私たちはとけないしみを持って生きているのです、
 しみのない人間なんぞ、もし、この世にいるとしたら・・・・・」
といいかけて、口を噤む。

「さあ、帰りましょう。副局長。あなたが寝込むと国家が揺らぎます。
 あなたを心配する人は私だけではありませんよ」

マタイは微笑むと、小さく、聞こえないように早口でいった
「今年は、大切な人と初雪をみることができました」